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2020.04.08

「同人とは!」を心得るべし


目次

1.まずは心得てほしい「同人とはなんぞや?」
2.侍は刀を捨て筆を掲げた?「日本初!?文芸同人の登場」
3.戦いの終結は新たな同人の幕開け?「文字より絵へ・・・マンガの台頭」
4.世界最大の同人誌即売会コミックマーケットの誕生
5.書く・描くだけが表現ではない同人の進化
6.二次創作がもたらした問題点

 

 

1.まずは心得てほしい「同人とはなんぞや?」

ようこそ、同志よ。いや、同人よ!!

 

同人と言うと一般的には「好きなアニメやマンガ、ゲームを始めとした数多くのジャンルの作品の二次創作」のように認知されているが、もともとは「同じ趣味や志を持つ人または団体の集い」のことである。

 

同義として用いられる言葉として「同好会」や「研究会」「ファンサークル(FC)」などがある。最近では聞かなくなったが「結社」も同様で「何人かの人が共通の目的のため集まってつくった団体」という意味を持っている。

 

結社・・・これほどまでに心躍らせる単語も珍しい。おそらく、このサイトに辿り着いたアナタなら、結社と聞いてときめいてくれるに違いないだろう。

 

同人(どうじん)とは、同じ趣味・志を持っている個人または団体。https://ja.wikipedia.org/wiki/同人

 

少し話が逸れたが、既存作品の二次創作であろうが完全なオリジナル作品であろうが、思想や方向性を共有する仲間がいること・・・これがすなわち「同人」である。有り体に言えば「絆」とも言えるだろう。

 

たった一つのアニメの、たった一人のキャラクターに関して造詣を深めても「同人」であるし、広義で私達が「同人」に語り合ったとしても「同人」であるのだ。

 

すなわち、このサイトに辿り着いたアナタ私達同人であり、冒頭の「ようこそ、同人!」に繋がるわけである。

 

まさに同人とは哲学でもあるのではなかろうか。

 

ただ、こうした「フワッとした定義や精神論」だけを語るつもりはない。これからさらに深く「同人」の歴史や文化、問題点などに触れていこう。しかし、まずはアナタと私達の共通認識として、根底に・・・深淵に・・・どこにでも構わないが、掲げていただきたいものがある。それがこの「十箇条」だ。

 

 

 

同人十箇条

:作品・思想に対する愛を持つべし

:愛を共有できる仲間を愛すべし

:愛は十人十色であると受け入れることも愛である

:愛は利益を生まざるものであると心得よ

伍:我らの愛は恥じるものではない

:愛を他人に強要するなかれ

:二次創作において原作への敬意を忘れてはならぬ

:法を犯し、同人作品を広めることは同人への冒涜である

:作者だけではない、作品に共感した者たち全てが同人だ

:世界は同人で満ちている

 

十箇条を紹介したところで、早速同人における成り立ち(歴史)や変化、ジャンル、問題点などについて触れていこう。ただし、このページに書くのはあくまでも基礎知識程度に留める。まずは以下の知識を蓄えた上で、自らの足で一歩一歩、同人のさらに深い部分へ進んでいっていただきたい。

 

2.侍は刀を捨て筆を掲げた?「日本初!?文芸同人の登場」

 

幕府が倒れ、文明開化真っ只中の日本。この頃に活躍していた小説家の尾崎紅葉という男を中心に結成された硯友社(けんゆうしゃ)が、日本における最初の「同人」だとされている。古きを尊重し、利益よりも娯楽を追求し、文学の向上をめざしたのである。

 

メンバーには山田美妙や石橋思案、川上眉山、巖谷小波など、日本文学の雄が並ぶ。硯友社というサークル名には「永遠の友でいる」という意味が込められており、日本最古にして最も「同人」を体現している団体であるといっても過言ではない。

 

硯友社は1885年5月に我楽多文庫という文芸雑誌を創刊した。ここから日本の「同人誌」の歴史が始まったのである。

 

日本における同人の開祖「尾崎紅葉」が1903年に死没し硯友社は解散となるが、時を同じくして短歌結社のアララギ、正岡子規や夏目漱石も参加したホトトギスなど数々の同人誌が発刊され、同人文化自体は加速していく。

 

紙幣にもなった作家がまさか同人活動をしていたなどという事実は、日本では広く知られておらず、私達としては落胆を隠しきれないのが本音でもある。

 

1910年代に入ると、それまでは文芸中心だった同人誌に多くの画家も参加を表明。白樺派などの同人誌が発行されることになる。

 

話を現代に戻そう。同人誌即売会は時に「戦場」と称されることがある。

 

明治に入り廃刀令で刀という魂を失った侍は、明治に入り頭角を現した同人文化によって新しい戦場を得たのではないだろうか。日本男児に眠る侍魂(サムライスピリッツ)は、刀を筆に・・・鎧をアニメキャラクタープリントTシャツへと変え、今もまだ戦い続けているのである。

 

3.戦いの終結は新たな同人の幕開け?「文字より絵へ・・・マンガの台頭」

わざわざマンガとは何か?を説明する必要はないであろうが、軽くその歴史に触れよう。

 

日本最古のマンガとして有名な鳥獣戯画は平安時代(794年〜1185年)に描かれたとされている。その後、江戸時代には戯画が商品として流通されるようになり、浮世絵に発展。葛飾北斎の北斎漫画も登場した。

 

幕末に入ると、横浜の外国人居留地にてジャパンパンチという漫画雑誌が発行。これこそ今の日本の漫画雑誌の原点であるとされている。

 

その後、ヨーロッパなどのマンガ文化を取り入れながら、絵を描くための筆がペンへと変わり、ストーリーマンガが誕生し・・・というように、進化を続けて今に至るのである。

 

今や同人を語るのに欠かせないマンガというジャンルの確立は、成るべくして成った。日本は倒幕後の明治時代以降、世界との戦争が続いていた。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦・・・これは大正時代、昭和時代に突入しても変わらない。そして第二次世界大戦・・・

 

全てが焼け、全てを失い、全てが枯れた。大人たちは歯を食いしばるしかなかっただろう。子供たちは泣きわめくことすらもできなかっただろう。

 

そんな中での手軽な娯楽の一つとして注目を集めたのがマンガだ。頭を空っぽにして、見るだけでその世界に入り込めるマンガ・・・夢を与えてくれるマンガ・・・

 

同人の歴史が動いたのは、第二次世界大戦終戦翌年1946年のことである。

「まんがマン」という同人誌の会合を通じて、日本漫画会の神である手塚治虫が立ち上がった。少年少女はマンガに夢中になった。そして、終戦十数年後に登場したSFマンガ雑誌である「S-Fマガジン」は、戦争を乗り越え高度成長期であった日本中に衝撃を与えることになる。

 

SF小説家として一旗揚げようという数多の若者が名乗りを上げ、無数の同人サークルが誕生したと言われている。その中には「仮面ライダー」や「サイボーグ009」を生み出した石ノ森章太郎や「ドラえもん」「忍者ハットリくん」で有名な藤子不二雄もいた。漫画界の至宝である偉人達が続々と同人の世界から商業の世界へと羽ばたいていく。

 

そして1962年には、SFファン(同人)が集う日本SF大会「MEG-CON」が東京目黒にて開催された。この時の参加人数は180人ほどであったが、意見・情報交換が積極的に行われ、また新たな同人サークルが生まれていくことになるのである。

 

SFと言えば、科学の粋を集めた結晶だ。

一般人はそれを夢見ただけで終わるが、研究者達はその世界を現実にしようと日夜研究に励む。そしてついに、マンガの世界だけでしか感じることのできなかった科学の世界が、映像として体験することができるようになるのである。

 

1968年に公開された「2001年宇宙の旅」という映画によって、SF文化はさらに熱狂的なものになる。この頃に旗揚げされた同人サークルは、時代とともにアニメ企画会社へと規模を拡大しているものもあり、同人マンガとアニメの融合が次々と実現していくこととなるのだ。

 

4.世界最大の同人誌即売会コミックマーケットの誕生

 

ミックマーケットが開催される東京ビッグサイト

 

時代とともに目まぐるしく変化し続ける同人という文化・・・その裏側には、いつも戦いがあった。しかし第二次世界大戦終戦以降の日本では、大きな武力に頼る戦いは起こっていない。冒頭でも触れたが、同人とはもともと「同じ趣味や志を持つ人または団体の集い」を指す。

 

 

戦後、数々の同人サークルが乱立した日本国内・・・異なる志、異なる思想・・・ぶつからないわけがない。やはり同人が変化、進化し続けるためには、血塗られた背景が必要なのだろうか。

 

これは、起こるべくして起こった歴史的事件だろう。

 

1975年12月21日・・・記念すべき第1回目となる同人誌即売会「コミックマーケット」の開催である。

 

マンガ批評を行っていた同人サークルである「迷宮」の主催により、数々のマンガ同人サークルや大学のマンガ研究会が参加し、既存マンガの批評や感想を展示。およそ700人ものマンガファンが集まったとされている。

 

我々日本人の間で「コミックマーケット」を始めとする同人誌即売会は「戦場」と称されると先述した―

 

同人は、戦いとともに変化・進化を遂げてきた―

 

同人はついに、血を流すことのない「戦場」を自らの手で作り出したのである。

 

そして科学の発展とともに、印刷技術も進歩。1980年代に入れば個人でも冊子が作れるほど、印刷代が手軽なものとなっていく。

 

もともとは同じ志を持つ作家同士の集いであった同人が、マンガの台頭によりマンガ作家を生み、科学・流通の発展によってそれらの作品の批評をする集団を作り上げた。そして「読み手・見る側」だけにとどまらず「誰でも作品を世に送り出せる」時代へと変わっていったのだ。現代同人の基礎が、このコミックマーケットという戦場によって固められた瞬間である。

 

現在のコミックマーケット(通称:コミケ、コミケット)は、コミックマーケット準備会が主催しており、規模としては世界最大。毎年8月と12月に東京ビッグサイトにて行われている。

 

2019年12月に行われたコミックマーケット(通称:C97)では、来場者数75万人を記録した。東京オリンピック期間中の1日当たりの来場者数が95万人と予想されていることと比較しても、もはや国単位で見ても無視のできないイベント(戦場)になっていることは間違いない。

 

また、コミックマーケットだけでなく同人誌即売会は日本だけでなく世界各国で多く開催されている。

 

日本の国内においては、全ての活動内容が制限されないオールジャンル系イベントと、活動ジャンルを制限したオンリー系イベントの2種類に分類されるようになった。オンリー系は、〇〇というアニメ・ゲーム限定であったり、オリジナル文芸作品限定であったりする。

 

5.書く・描くだけが表現ではない同人の進化

●コスプレ

 

アニメやマンガなどの「カタチが目で見えるもの」がサブカルチャーの中心となるに連れ、同人の表現の幅も「書いたり」「描いたり」するだけではなくなってくる。自分自身が作品そのものになるコスプレの登場だ。

 

もともとコスチュームプレイの語源は、欧米で昔の時代の衣装を着て楽しんだり、時代劇そのものを表す言葉だった。

 

日本では、戦後しばらくは衣装稽古の意味で用いられていたこともある。

それが1980年代に入り、アニメや特撮ヒーロー作品が続々と登場する中、模倣した衣装を着る人が出現し始める。

中でも、コスプレを世間に大々的に認知させた作品が「うる星やつら(高橋留美子)」だ。この作品に登場するヒロインのセクシーで肌の露出が多い衣装を着て同人誌即売会などのイベントに参加する女性が続出。

 

テレビでも取り上げられることになり、社会的に「コスプレ」の認知度が高まっていったのである。ちなみに、1983年のコミックマーケット23では、ついにその過激な衣装に警察が介入することに。コスプレ状態のまま会場から外出することが禁止となったのだ。

 

良い意味でも悪い意味でも社会現象となったコスプレ、2003年にはコスプレイヤーたちの祭典である世界コスプレサミットの第一回が開催。

初回はイタリア、ドイツ、フランスから5名のコスプレイヤーを招いただけであったが、現在では30ヵ国もの国からコスプレイヤーが参加するほどまでに拡大した。また、日本の外務省も主催に名を連ねており、まさに外交の役割を担うほどの国を巻き込む文化へと成長を遂げたのである。

 

●ゲームソフト

 

1983年に発売されたファミリーコンピュータの大ヒットにより、世界的にコンピュータゲームのプレイ人口が増加。それに伴ってソフトを制作する同人サークルが登場する。

最も早く同人ソフトという名称が使われたのが1984年のコミックマーケットで、帝国ソフトというサークルが実際に自ら開発したコンピュータゲームソフトを持ち込んだ。

 

その後もコンピュータ性能が飛躍的に高まりゲームが一般的になる中、自分でもゲームを作ってみたいという思いに応えてついに登場したのが株式会社アスキーが開発した「RPGツクール」というスーパーファミコン用ソフト。

 

自分の思い描いていたロールプレイングゲームを作り上げられると話題になった。これまで所謂一般人が自分自身の物語を表現するためには、基本的にペンと紙に頼るしかなかったが、RPGツクールによって新たな手法が生み出されたのである。

 

と言っても、今のようにインターネットも普及していない時代で、スーパーファミコン用ソフトであったため、自分自身が作り上げたRPGを広めるには限界があった(その後、ツクールシリーズはさらに進化を重ねていくが・・・)。

 

また、1990年初頭から半ばではビジュアルノベルゲーム(文章に背景と音楽、効果音等のエフェクト組み合わせたジャンル)が広まり、同人ソフトもこれをたどる。ゲームソフトというジャンルから、少なくとも4〜5人以上の同人サークル内でデザイン・シナリオ・原画・プログラム・音楽などを分業して開発を行っていることが多い。

 

●音楽

表現手法の一つとして忘れられてはいけないのが音楽だ。アニメやゲームの二次創作マンガ同様、音楽もそれらに用いられている楽曲のアレンジなどの二次創作が広まっていく。

1990年代からコンピュータが一般に広まり、デスクトップミュージック(DTM)が個人単位で可能になったことが大きな要因と言えるだろう。1990年代後半に入ると、CDプレス費用の価格も下がり自主制作楽曲も同人誌即売会で頒布されるようになった。

同人音楽は、インディーズ音楽と混同されることも多いが、作り手自身が同人活動と言えば同人なのである。近年では、YAMAHAが開発した音声合成システム初音ミクに代表される「VOCALOID」を使用するなど、同人音楽はデジタル技術が進歩するに連れ表現の幅を広げている。

 

6.二次創作がもたらした問題点

 

同人の定義として根底にあるものが「志」だ。その志がどこへ向いているのか、それぞれの同人に委ねられるが、先の十箇条を思い出していただきたい。

 

漆:二次創作において原作への敬意を忘れてはならぬ

捌:法を犯し、同人作品を広めることは同人への冒涜である

 

コミックマーケットなどにおける同人誌即売会では、たびたび著作権法が話題になる。もちろん(おそらくではあるが)法律に抵触しないものも多いことは周知の事実だ。例えば文芸作品への批評や鉄道の魅力を語る冊子などである。自らの志・思想をカタチにし広く普及しようとする努力に敬意を評したい。

 

しかし、既存作品の二次創作も多いのは事実。特に先述した「〇〇アニメオンリー系イベント」などは著作権法違反の巣窟だと言えよう。同人活動に水を指したいわけでもないし、否定なんてもってのほかだ。ただ、これだけは肝に銘じて活動していかねばならない、著作権という名の高い壁。

 

まず「どこからが著作権の侵害に当たるのか」であるが、あえて線引をするならば全て違反だ。誰かが作り上げたものをコピーしたり、模倣するだけで著作権の侵害に当たる。つまり、とあるゲームのキャラクターと似ているだけのキャラクターをオリジナルと言い張ったところで、他人が「あ、このキャラクターってあのゲームのでしょ!」と感じた時点でアウトなのである。

 

ただし著作権侵害は親告罪である。侵害された側が訴えを起こさない限り、立件されることはない。万が一、訴えられたら・・・裁判にかけられ損害賠償を請求される可能性もあるだろう。

では、著作権侵害だらけ(?)のように見えるコミックマーケットが、なぜ今も堂々と開催されているのだろうか。そして原作者たちは、なぜ訴えないのだろうか。

原作者から見れば「自分のアイデアで商売しやがって!」となる反面、逆に同人が入口となって消費者が原作にたどり着くケースもある。

 

同人誌即売会の参加者が「このキャラクターかわいい!なにこれ?原作も見てみよう」と興味を持ち、原作の売上や評価が上がれば原作者にとってもメリットだ。ドライに言えば、二次創作同人作品は原作にとって無料の広告とも言えるのである。

 

と言っても、実のところ海外では二次創作同人は日本ほど認められてはいない。訴えられて当たり前なのだ。

 

つまり、二次創作から原作への流入はさほど期待されていないし、逆に原作が被害を被る可能性が高いのが世界規模で見れば一般的であるということ。

 

なのになぜ日本の原作者たちは・・・見て見ぬ振りをするのか。

 

同人の歴史の中で、数々の偉人が誕生してきた。そして商業作品に負けないほどクオリティが高く人の心を引きつける作品が作り上げられてきた。

 

それを知る日本の原作者達だからこそ、次世代のまだ見ぬ偉人・作品に期待しているのかもしれない。

 

二次創作同人は、こうした原作者たちの心意気によってなりたっていることを忘れてはならないのである。

 

まだ同人の世界をちょっと覗いただけだ

 

ここまで同人の定義から歴史、成り立ち、ジャンル、法律的なものまでを述べてきたが、まだまだ序の口。

同人の世界を楽しむための窓の外からチラッと覗いた程度にすぎない。

ただ、この記事を読んで少しでも同人に触れてみたいと思っていただけたなら幸いであるし、今日からアナタと私達は同人だ。

 

しかし、このサイトを読むだけで同人のモチベーションが保てるかと言われれば、ノーだろう。

より深い専門性を持った同人仲間を見つけなければ同人の世界は歩き続けられない。そんな時は月並みではあるがSNSなどを活用してほしい。

「突然フォローしたら怪しまれないか?」「なんて話しかければいいの?」など、戸惑ってしまうこともあるだろうが、そこで一歩を踏み出すことが運命的な出会いにつながることもある。そしてアナタなりの同人ライフを満喫し続けてほしい。

 




Writer

佐藤志郎

2010年に広告制作会社を立ち上げる。主要な取引先は通信販売会社であるため、得意分野はダイレクトレスポンス広告。


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